ちら、と桜の花弁が舞う。彰紋の視界を横切って、橋の下の水面へと消えた。
穏やかな水流に流されて河を下っていくはずのそれを見出すことは出来ず、彼は橋の欄干に添えた掌に力を込める。
花弁に、愛しい人が重なった。
For Dearest
「彰紋くんは、誕生日はいつ?」
花梨が不意に言ったその聴きなれない言葉に、彰紋は首を傾げる。誕生日、とは何だろう。
とっさに答えられないでいる彰紋を見て、彼女は自分の言葉がこの世界には存在しないのだということに気がついたらしい。少し慌てて「ごめん」と言うと、すぐに彰紋にもわかるように言い直してくれた。
「えっとね、生まれた日のこと。どの月の、何日なのかなって」
「ああ・・・・・・花梨さんの世界では、誕生日と呼ぶんですか」
「うん。その日は生まれてきたことをお祝いする日なの。こっちではみんな一年の初めに年をとるけど、あっちだと誕生日に年をとるんだよ」
花梨の世界には、様々な行事がある。如月の十四日には「大切な人に贈り物をする日」だと言って自分で作った菓子をくれたし、その頃はそれどころでは無かったせいで見送ってしまったけれどと、師走の二十四、二十五日には、国中で祭のようなものをやるのだとも教えてくれた。
おそらく自分が想像しているよりは異国的で、賑やかなものなのだろう。花梨から彼女の世界の話を聞くのは、とても楽しかった。
ただ時折、不安になる。京を捨てきれない自分のためにここに残ることを選んでくれた花梨が、元の世界を恋しがっていることを知っていた。彰紋にとっての京は、花梨にとってはその世界なのだから。
帰りたいと、いつか泣かれるかもしれない。そうしたら、彰紋は花梨を手放せるだろうか?
元の世界へ返る術など、とうに無い。しかし花梨は神力を失ったとはいえ、元は龍神の神子なのだ。いつ龍神が彼女に寄り添い、応えるか知れない。
繋ぎ止めたいと思う。業の深いことだと自分で自分を笑いながら、しかし誤魔化しようもないほどに、その思いは強すぎて。
彰紋はなんとか表情を保ちながら、花梨ににこりと微笑んだ。
「そうなんですか。僕の生まれた日は、確か弥生の四日だったと思いますよ」
「やよい・・・・・・弥生って、もうすぐだよ!?」
「そうですね。今日は如月の二十六ですから」
生まれた日を祝うという感覚が薄いために、それがどうかしたのかと彰紋は首を傾げる。その様子に何かを言いたそうにしながらも、花梨は「ううん、いいや」と首を横に振った。それから首を傾げて何かを思案しているようだったが、その内容は彰紋には知れない。ただその横顔を見て、その頬に触れたいと思った。
本当に触れる勇気なんて、持ち合わせてもいないのに。
数日の後、彰紋は花梨から文を貰った。美しい枝振りの桜が添えてあったそれには、明日土御門邸へ着て欲しいと綴ってある。拙いがだんだんとこちらの世界の様式に慣れてきた文字と文章は、思わず指先で撫でてしまうほどに可愛らしい。
この文面を苦心しながら仕上げたのであろう彼女を想像して少し笑い、彰紋は桜の枝を手に取る。
香りの無い、しかし眼を瞠るほどに美しいそれにそっと口付けて、文の上から文箱にしまった。
この桜がいつかは枯れるとわかっていても、閉じ込めずにはいられない衝動に駆られる。ああ、これが独占欲というものか。彰紋は、驚くほどあっさりと納得した。こんな感情は、花梨に逢うまでは知らなかったはずだ。
枯れるまで、自分の手元に。
身勝手なその感情に、彰紋は苦笑を漏らす。
翌日、手紙に従い土御門邸の花梨の部屋を訪れた彰紋を迎えたのは、両手いっぱいに花を抱えた花梨だった。髪に葉が引っかかっていたり、膝に軽い擦り傷があったりはするが、本人はいたって元気らしい。満面の笑みで、こんにちはと彰紋に笑いかける。
大量の花は、どこで見つけてきたのかと思うほど多くの種類が混ざっていた。おそらくこの様子では、花梨は自分でこの季節山々に芽吹くそれらを摘んできたのだろう。中には遅咲きの花や、逆に早咲きの花まであって、京中を探して回ったのだと容易に知れる。
どう反応したものか一瞬迷った彰紋は、花と花梨を交互に見つめる。その視線を気にしながら、花梨は小さく笑った。
「今日、彰紋くんの生まれた日でしょう。何かあげたかったんだけど、私はここにお世話になってるだけだから、大したものはあげられない。自分で働いてるわけでもないのに貰ったお金は使いたくなかったし、でも、何もしないなんて嫌だったの」
ちょっと頑張りすぎて、私がぼろぼろになっちゃったけど。
そう言って苦笑する花梨が愛しく思えて、彰紋はうつむく。また込み上げたものを飲み下すのに必死だった。
触れたい。触れて、抱きしめて、どこかに閉じ込めてしまいたい。
太陽の下で笑う花梨は確かに美しいと思うのに、同時に誰の目にも曝したくないほどに思えて彰紋を混乱させる。きっと花梨の抱えるこの花々と同じように、太陽から隠せば枯れてしまうだろうに。
うつむいてしまった彰紋を、花梨は花を抱えたまま覗き込む。瞳を合わせてくる幼さを残した顔に、彰紋は言った。
「花梨さん」
「え?」
「花梨さんが好きです」
「え、えぇっ?」
初めて言ったわけではないのに、改めて言われるとやはり恥ずかしいのか、花梨は見る間に頬を赤く染めた。思わず声を上げた拍子に花を落としかけ、慌ててそれを抱えなおす。じっと花梨を見つめてくる彰紋の真剣な瞳から逃れるように、花梨は花に顔をうずめた。
少しだけ顔を上げて、彰紋をちらちらと見ながら言葉を探す。頬だけでなく、さらに耳まで赤い。
「あ・・・・・・えっと、その・・・・・・私、も・・・好き、だよ?」
言い終えて、また花に隠れるようにうつむく。その花梨の頬に、彰紋は躊躇いながら腕を伸ばした。
頬に触れた瞬間にぴくりと花梨のまぶたが震えたのは、拒絶ではない。受け入れるように彰紋の手に頬を寄せて、花梨は視線だけを彰紋から外している。
その恥らう様が、まるで咲きほころびかけている花の蕾のようで、彰紋は途惑った。彼女はいつもとても可愛かったけれど、頬を赤くしてうつむく彼女はどうだ。こんなにも、花梨のことを別人のように感じたことはない。
抱きしめたら、花梨はどうするだろう。
振り払いはせず、受け入れて、自分の肩に頭を預けてくれるだろうか。間近に腰を下ろす少女がどんな表情を見せるのか、期待にも似た気持ちで想像する。
抱きしめる決心がつかずに、彰紋は唇を噛んだ。臆病者め、と自分のことを罵ってみるが、身体は座したまま動こうとはしない。抱きしめて、拒絶されることが怖かった。
いつもいつも、消えてしまうのではないかと怯えながら、まるで桜が散るのを惜しむかのような気分でいる。
彰紋の掌に頬を寄せたまま、花梨がポツリと呟いた。
「・・・・・・もっと」
「・・・・・・花梨さん?」
「もっと・・・・・・触れたいな」
「っ!」
本当に恥ずかしそうに、だが花梨は最後にぐっと視線を上げた。信じて、と、その瞳が真摯に語る。
その視線とぶつかった瞬間に、彰紋は怯えなど忘れた。ただ手を伸ばさずにはいられず、花梨の細い肩を抱きこむ。
花梨の抱えていた花が、二人の間にばさりと落ちた。
「・・・・・・好きです」
「うん」
「たぶん、もう・・・・・・僕は、貴方を手放してあげられません」
泣いて嫌がっても、元の世界に帰ることなど許さないだろう。みっともなく独占しようと、きっと花梨を傷つける。
花梨がいなかった頃の、何も知らない真っ白なだけの自分ではなく、もう愛しさがこの胸を支配してしまった。この愛しさなしでは生きていけない。
それでもいいのか。文箱に仕舞いこんだ桜のように、枯れないでいてくれるだろうか。
自分を抱きしめて手放せないといった彰紋の肩に頭を預け、花梨は彰紋の背中に腕を回す。あやすようにゆっくりと自分よりも広い背中を撫でながら、小さな声で彰紋に言った。
「・・・・・・私ね、たぶん彰紋くんが思ってるより、彰紋くんのことが好きよ」
だからね、大丈夫。
「ずっと、彰紋くんの傍にいたいの。彰紋くんがいてくれて嬉しい。――――生まれてきてくれて、ありがとう」
たくさんの花を贈ろう、そう、彰紋は思う。
季節ごとに、年を重ねるごとに、この愛しい人には花を贈ろう。枯れてしまうけれど、残る花。記憶の中でいつまでも鮮やかに色褪せぬように、美しく咲く花を。
彼女の誕生日には、何の花を贈ろうか。彼女に似合う、明るい色の花がいい。そんなことを考えながら、彰紋は花梨からそっと身体を離した。
お互いの額をつけて笑いながら、彰紋は膝の上に散らばった花を思う。まるで、この場所にだけ花畑が出来たようだった。
その、花畑の中で。
ああ、生まれてきて――――貴方に出逢えて、良かった。
誕生日おめでとう彰紋! 不完全燃焼気味でもこの日までに書き終えておめでとう私!(台無し)
最高に幸せにしてあげたいと思ってるのに、いつも最高ランクの空回り。あれ、おかしいな彰紋こんなにネガティブじゃないよなさすがうしろ向きじれっ隊!(おい)
ダントツで理想の旦那No.1な彰紋。でも二次創作で花梨と幸せにしようとすると、障害の多い彰紋!(涙)(どうしても切ない系に持って行きたくなる)
今まで色々我慢してきたのだから、幸せになってね。
最後にもう一度、誕生日おめでとう!