君に堕ちてあげよう
今年七つになる甥っ子が、この歳にしてどうやら道を踏み外しかけているらしい。
どうしたものかと対処に困ったために浮かんだ笑みの裏で、鬼若は本気でそう思った。目の前の無邪気な瞳は愛らしいが、この差し出された花はどうしようか。受け取れば誤解に拍車をかけるだけのような気もするし、受け取らなければ芽生え始めた自尊心を傷つけるだろう。
困った挙句、鬼若は二回り以上も小さな柔らかい手を両手で握りこんだ。子供の体温は高く、触れた場所からふわふわと暖かい。
「ありがとう、湛蔵。僕にくれるんですか?」
「ああ、やる。だから、おれの女になりなよ」
兄さん、と鬼若は心中で兄を呼ぶ。いざというときはとても頼りになるが、普段は躾すらまともに出来ないのか。血の繋がりがいっそ恥ずかしい。たかだか七つの子供が口にする台詞とは到底思えず、鬼若は軽い眩暈を感じてうつむいた。
どう言ったものだろうか、そう考えあぐねる鬼若の気持ちなど知らず、湛蔵は瞳を輝かせている。この瞳の前に、一切の理屈はただの塵芥に等しい。様々な意味で誠心誠意受け止めてやるわけにも行かないし、だからといって無碍にはしたくない。形はどうあれ、寄せられる好意は純粋に嬉しかった。
困惑を深める鬼若に、湛蔵は不安げに瞬く。ああ、いけない、子供は子供なりに、大人の心中を推し量るのだから。
首をかしげ、鬼若は苦笑した。
「うーん、それは出来ないかもしれませんね」
「どうしてだ?」
「だってね、湛蔵。僕は男だもの」
「もんだいない!」
「・・・・・・・・・・・・」
どうしたらいいのか、教えてください僧正様。いつもは息苦しくてしょうがない、遠く離れた比叡の山を思う。すぐに怒るが慈愛深い僧正と、嫌味を言うしか能の無い先輩稚児たちに、わずかながら会いたくなった。後にも先にも、ここまであの山を恋しく思ったのはこれっきりである。
仕方がないか。無責任かもしれないけれど、ここを切り抜ける方法が、残念ながらひとつしか浮かばない。
鬼若は、湛蔵の手を握りなおして出来るだけ真摯な声を出す。真剣みを帯びた声音に、湛蔵が背を正すのがわかった。
「わかりました。なら、もう少し大きくならなくてはね」
「もう少し? もう少しって、どれくらいだい」
「そうですね・・・・・・君が、元服する頃かな? その頃にまだ僕のことが好きなら、比叡へでもどこへでも、追っていらっしゃい」
「げんぷく・・・・・・大人になるってことだな。わかった。約束するよ」
こくこく、と何度も頷くので、少し目を回したようだ。それが可愛かったので、頭を撫でてにっこりと笑む。多少の問題はあるものの、兄に育てられたにしては素直に育ったものだと、鬼若は甥っ子を愛しく思った。元服の頃にはこんな約束は忘れられているだろうし、覚えていたとしてもただの記憶で済むだろう。ずるい手だか、しかたがない。
湛蔵が元服したのは、それから五年後のことである。
よう、と片手を挙げた少年は、弁慶に向かって言い放った。
「さ、約束どおり、おれの女になってくれんだろ?」
弁慶の甘やかな顔立ちとは似ていないが、整った顔の中でも印象的な猫目が挑発的に細まる。すでに微かな色香をまとったその視線は、たった十三を数える男のものとも思えなかった。人を惹きつけるのには充分すぎる力を持って、その赤い髪の隙間から、髪と同じ色の瞳で弁慶を見上げる。嫌だとは言わせない、と、弧を描いた口元が囁く。
故郷熊野を思わせるそのあまりに爽快な笑顔を見て、忘れてた、と弁慶は脱力した。自分の中に流れる血を、甘く見すぎていたのだ。あの頃は仕方がなかったとはいえ、なんて軽率な約束をしたものだろう。こうなることも、予測出来たかも知れないのに。
何せ、あの兄の子。そして、この自分の甥だった。――――前向きな方向への諦めの悪さは、己が最もよく知るところである。
さしずめ今の弁慶は、彼にとっての生餌というところだろうか。いつもの口八丁で逃げる気力すら湧かなくて、もういいかと乾いた笑いを浮かべる。幸いと言うか言わざるべきか、弁慶には彼を拒む理由が無い。いや、考えれば山ほどあるのだが、それすらももう面倒だ。
まだ幼いと思って甘く見ていた。時が経つにつれ忘れていくだろうと放った言葉は、しっかりと記憶され、反芻され、そして現実になろうとしている。五年以上も一途に自分を想い続けてくれていたという事実は少し嬉しく、そう思うと、なおさら撥ね付ける気も起きない。ああ、どうしたものか。
「なぁ」
「・・・・・・はい、なんです?」
少しの躊躇いを含んで返された返答に、くっと、喉の奥で一笑。
「いろいろ考えてるみたいだけど、お生憎様。逃げ道なんて用意してないよ」
あとは、あんたが捕らえられて終わりさ。
そんな風に笑う甥っ子に、弁慶は苦笑を返す。とことん、血筋というものは怖い。しっかりと自分の遺伝子も受け継いでいるらしい彼を眺め、観念したように首を傾げた。
約束は守らないとね、と、弁慶は笑う。
魅力的な君に、堕ちてあげよう。
書いている間、すっげぇ楽しくてどうしようかと思いました。弁慶受けがマイブームなもんだから喜々として。ええ、嬉々として書いてみた。うちの弁慶さん、世間様の認識からずれてるよ!!(笑)
でもこれ、続き書きたいなぁ。ヒノエ視点とかで・・・・・・