つたえたいこと
何を考えておられますの、と、妻が呟く。美しく、控えめな人だった。夜の色を塗りこめたような見事な黒髪をさらさらと微かに鳴らし、重そうな十二単をそうとは思わせず、僕の隣に座る。庭を眺めていた僕は彼女に視線を向け、少しぎくりとした内心を隠すように言った。
「雨が降りそうだと思ったんですよ。空の色が、暗くて重いでしょう」
「嘘をおっしゃらないでくださいませ」
ぴしゃり、そう返された。言葉につまる僕を哀しげな瞳でみつめ、彼女は小さくかぶりを振る。駄々をこねる子供のような仕草だが、彼女はそれをしてなお、美しさを失わない。年齢に似合わないほどの大人びた美貌に、年相応の幼さが交じる。
「東宮様、わたくしが気付かないとお思いですか」
「・・・・・・何を?」
「わたくしと東宮様が比翼の誓いを交わして、もう二年になりますわ。・・・・・・気付かないはずがございませんでしょう?」
にこりと微笑まれ、何かを言おうとしたのに言葉が続かない。彼女が何を言わんとしているのかは、さすがに僕でももう薄っすらとわかっていた。だからといって、それを口に出すことは躊躇われる。
それは、彼女に対する裏切り。自分の心に対する戒めを、容易く解くことになるだろう。躊躇している間にも、彼女は僕ほどの躊躇いは無く言葉をつむいでいく。こういうとき、女性は強い。
「他に想われる方がいらっしゃったのでしょう。わたくしと夫婦となる前に」
「・・・・・・それは」
「お辛かったでしょうに。わたくしは、貴方が時折、誰かを思って月を見上げていたことを知っております。
その方を側室になさらなかったのは、貴方のお心根がお優しいせいだけではございませんでしょう」
肯定は出来なかった。だが、否定はもっと出来なかった。まさにその通りだったし、何より彼女がそれに気付いていたことに驚いてしまったのだ。僕をまっすぐに見つめ、言葉はただ朗々と。
傷つけていたのだと思う。芯の強い人だから、それは誰にも悟られることなく、きっと彼女の内でだけ処理されていた感情だ。僕は知っていた。
彼女が、僕を愛してくれていたことを、知っていた。これは奢りではないと断言できる。
「世継ぎは生まれましたわ。・・・・・・わたくしが東宮様と共に老いることを許してくださってから、わたくしは日々、充分に愛された。・・・・・・貴方様は、わたくしを愛してくださいましたね。嘘は無かったと感じております。
たとえ、北の方であるわたくしを愛することが、果たすべき義務だとお考えになられていたのだとしても」
「・・・・・・僕は」
「わたくしは」
僕の言葉をさえぎるように、彼女が声を出す。心なしか涙の混じる、その声音。
しかし彼女は誇り高く、背筋を伸ばして言い切った。
「わたくしは、この京を治める帝の北の方。東宮の ―――― 次代の帝の、母。それを譲る気は、こざいませんよ。・・・・・・東宮様をお慕いしておりますもの」
自信に満ちたその笑顔は、決して傲慢などではない不敵さで彩られていて、僕を少なからず哀しくさせる。僕が傷つけて、ここまで強くなるしかなかった人。申し訳なく思う。だが、憐憫も同情も、僕には無かった。それを彼女は厭うだろうし、それでは彼女の心を裏切ってしまう。
僕はただただ、彼女に感謝した。深く、頭を下げる。
「ありがとう」
僕の愛したあの人は、もうこの世界にはいない。彼女はそれも知っているのだろうか。―――― 知っているに違いない。だからというわけでもないだろう、嫉妬も恨みもなく、夫の中に誰かがいることを受け止める。清廉潔白な人柄であることを、改めて思い知った。
改めて誓おう。
貴方を愛していく。あの人の代わりではなく、そのままの貴方をだ。愛し方は違ってしまうけれど、全力で守ろう。
僕の妻と、僕の息子を。この暖かな場所を。
遠い彼方にいる、かつて愛した人。聴こえますか。
僕はやっと、貴方と同じくらいに愛せる人ができました。
愛していました。
この想いを、伝えることは出来なかったけれど。
貴方を忘れるのにも、もう少し時間がかかってしまうかもしれないけれど。
僕は彼女を愛すでしょう。
きっと、貴方を想ったよりも穏やかに、彼女を愛していくでしょう。
もう会うことの出来ない貴方。
それでも、僕は告げたい。
愛していました。
ゲーム4、5年後設定。あの最終決戦の時に選ばれなかったってことで。
選ばれなかったからといって、神子を引きずって生きるわけにはいかないんですよね。特に彰紋なんかは京の未来がかかっているわけで、結婚は絶対でしょうし。
だったらけじめをつけるにはどうしたらいいのか。ありきたりで陳腐ですが、他の誰かを愛することで心に区切りがつけられたらいいな、と。よくある初恋の思い出に、全てが昇華されるとは思わないけれど。