翼ある猫の話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭の木陰でやっと手に入った書物を読む、なんて、これ以上の贅沢はない。さやさやと葉を揺らす風も穏やか、気温も緩やかに春の気配を滲ませる。陽が落ちれば寒くなるかもしれないが、まだ太陽は中天に差し掛かったばかりだった。

弁慶は普段見に纏っている外套を傍らに置き、微かな木漏れ日を頬に受けながら書物に目を落としている。琥珀色の瞳は、文字を追う以外のことを意識から追いやっていた。

だから、失念していた。

春の風は、気紛れに荒ぶることを。

 

 

「・・・・・・っ、あ」

 

 

風が一際強く吹いて、弁慶は目を細めて髪を押さえた。長い髪がさらりと肩から舞い上がり、弁慶の頬を掠めてまた落ちていく。そうして弁慶をなぶった風は、傍らに置いてあった黒い外套までも空に巻き上げ、弁慶の予想を遙かに超えた高みへと落とした。

樹の枝に引っかかってしまった外套に、弁慶は瞳を半眼にしてやれやれと腰を上げる。書物をいったん閉じて、木の根元に丁寧に置いた。

立ち上がってみても外套は高い位置にあり、手を伸ばしたところで届きそうにない。弁慶も決して背が低いわけではないが、何百年と時を生きたか知れたものではない木に勝るはずもなく、まるで年上の子供が幼子からおもちゃを取り上げたかのようにそびえている。無駄に憎らしく見えた木に、弁慶は蹴りをひとつ入れた。

誰も見ていないからこその行為。まだまだ自分が若輩者だと思う部分は、こうやって一人になると、昔の荒い部分が隠しきれなくなるところである。

弁慶の蹴りで少しだけ樹皮が剥がれたが、已然外套は枝に取り上げられたままだ。人間一人の蹴りなどではびくともしない巨体を見上げ、弁慶は息をついた。こうなったら、年甲斐もなく木登りでもするほかあるまい。

やれやれと弁慶が手を低い位置にあった枝にかけた時、背後から聴き慣れた声がした。

 

 

「あっれぇ、木登りかい? やめときなよ、怪我するぜ」

「・・・・・・ヒノエ」

 

 

枝から手を離して振り返ると、甥っ子のヒノエが面白そうに弁慶を見ている。面倒な男に見つかったと思うが、彼は小さく息を吐いてヒノエに言った。

 

 

「外套が引っかかってしまったので、取らなくてはならないんですよ。確かに、木登りなんて年甲斐もないですけどね」

 

 

先回りしてそう言うと、ヒノエは不満そうに眉を寄せた。その表情の意味は判らなかったが、それもすぐに消えてしまったので訊くことも出来ない。ヒノエは肩にかけていた自分の上着を弁慶に手渡しながら、弁慶の外套を見上げる。

弁慶は、ヒノエのどう解釈しても外套を取ってこようとしているのだろう行動に、驚きを隠せなかった。この生意気で侮れない甥が、神子姫たちのためならばともかく、弁慶のために動くことがあるとは思いもしていなかったからだ。信じられない心地でヒノエの名を呼ぶと、彼は猫のような目を細めてにやりと笑った。

 

 

「ヒノエ?」

「取ってきてやるよ。あんたはこういうのに向いてないんだから、大人しくしときゃいいんだ」

 

 

向いてない、とは心外だ。弁慶は昔も今も、運動方面に関しては誰にも引けをとったことはない。最近は木登りなどする機会も無かったが、しようと思えば昔のようにとはいかないまでも、人並みにはやり遂げることが出来るはずである。

それを反論しようとすると、ヒノエは弁慶の考えを見透かしたかのように笑った。

 

 

「そういう意味じゃないよ」

「は?」

 

 

ますます眉根を寄せる秀麗な顔が可笑しかったのか、ヒノエは小さく笑い声を立てながら枝に手をかけ、くるりと身体を翻して木の上へと移動していく。鮮やかな体捌きは猫のようで、少なからず弁慶を感心させた。

やがて外套の引っかかっている枝まで到達すると、外套を手にとって眼下の弁慶ににっと笑いかける。悪戯っぽい笑みを浮かべたヒノエを見上げて、弁慶は言った。

 

 

「それ、落としてください。下りにくいでしょう」

 

 

弁慶の外套は、なかなかに大きな布地である。それを持ったまま木を下りてくることが危険だと思えたためにそう言ったのだが、ヒノエは人差し指を立てて、わかってないね、などと呟いた。

それに弁慶が反応するよりも先に、そのしなやかな足が、枝を蹴る。

 

 

「あ、ぶっ・・・・・・!」

「よっ」

 

 

黒い外套をまとって地面に降り立ったその姿は、まるで大きな鳥が舞い降りたかのようだった。高い場所からの跳躍をものともせず、ヒノエはすっと立ち上がる。肩に緩くかけた外套を両手で取り去って、驚きで目を見開いたままの弁慶の肩にふわりとかけた。

外套の前両端を手に取ったまま、ヒノエが弁慶に顔を寄せる。ぼそりと耳元で囁かれた言葉に、やっと弁慶は身体の緊張を解いた。

呆れ顔でヒノエを見つめれば、それに応えるようににっこりと微笑まれる。

 

 

「・・・・・・君って人は」

「いい男だろ? 度胸があって、羽根も持ってる」

「自意識過剰ですよ」

「そうかな? ・・・・・・そうかもね。おれは“叔父上殿”に似てるらしいから」

 

 

いつもなら似ているなどとまっぴらごめんだと言うだろうに、都合のいい時にだけ身内であることを利用する。その態度にさらに呆れて、弁慶は溜め息をついた。外套の前を留めてヒノエは身体を離し、弁慶の手の中の上着を勝手に受け取って屋敷の方へと戻っていく。

後姿を見送りながら、弁慶は先ほどの台詞の残る耳を押さえた。少し振り返って猫のように目を細めた彼を無視して、木の根元に置いたままだった本を手に取る。

耳がまだくすぐったいような、熱いような。少しの違和感がどうしても拭えず、弁慶は眉を寄せた。

 

 

お姫様は、守られてりゃいいってことだよ。

 

 

そう囁いたあの顔が憎たらしくて、忘れられない。

 

 

「まったく・・・・・・生意気に育ったものですね。誰がお姫様です」

 

 

若い鳥。止まり木を必要としないほど、生気に満ち溢れた鳥なのだ。

呆れた声を発した口許に、小さく苦笑が滲む。

 

 

 

 

 

「翼を持った猫、か。どこの妖怪変化だか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はっきりとBLですね!(笑顔)

ヒノ弁好きだと言うと、いろんな人に全力で否定されます。「弁慶が受けとか有り得ん!」とかなんとか。ばっ、ちょ、おっま・・・・・・! 弁慶受けすごい萌えだよ!? ヒノ弁なんか甥に振り回される叔父だよ!? 九弁は親友ネタでも美味しくいただけるし、泰弁なんてほのぼのから険悪、SMまでカバーできるんだぜ・・・・・・!(そんな講釈はいらない)

ということを主張したくて書いたssです。(待て)