さようならば、ここでお別れ
すまない、と形の良い唇が呟くのを、まどろむ視界の中で見た。桜の花弁のように淡く色付いたそれは、微かに戦慄いて、きゅっと結ばれる。血が出るんじゃないかと思うほど下唇をきつく噛んでいるので、スザクは動かすのも億劫な腕を持ち上げて、そっとそこに触れた。
はっと見開かれるアメジスト色の瞳から、ほろりと宝石のような雫が零れる。次から次へと落下するそれは、スザクの頬や額や米神に落ちて、スザクの眠りをいくらばかりか遠ざけた。泣いている。どうして。
美しい紫に、赤く閃いて鳥が舞う。その瞳を見つめていると頭が痛くてしょうがなかったが、目をそらすことは出来なかった。
泣いている。愛しい人が、自分にだけは涙を見せてほしいと願っても頷かなかった――――それどころか、今のように固く唇を結んでしまった彼が、何を憚ることもなく泣いて、いる。
きっと、自分のための涙。だからこんなに美しい。
なんで泣いてるの、と訊くスザクの声は、少し掠れていた。それに小さく頭を左右に振った彼が、震えながらスザクの髪を撫でる。細い指が、労わるようにスザクの耳元をかすめた。
「すまない」
「だから・・・・・・何が?」
「おれは、お前を踏みにじった」
もっと早く、こうしてやればよかった。
そう呟いて、また泣くのだ。意味がよくわからなかったが、自分のために泣いてくれているのだと、それだけはわかる。優しい。昔から、彼は何も変わっていない。
幸せな気持ちになりながら、スザクは笑う。
「大丈夫だって」
「スザク」
「大丈夫・・・・・・“俺”は、大丈夫なんだよ。お前が心配することなんか、なーんにもないんだ。お前は、ナナリーと笑ってればいい。俺が、お前らを守るって、言ったろ」
あの夏のように。瞬く間に過ぎた、美しく遠い季節。
変わらず共にいたいと思っているのだ。親友、じゃないか。
涙雨が降る。
それはとても、心地よい。
昔のような口調で話すスザクを、ルルーシュはぎゅっと抱きしめる。死に際に現れたのは、昔のままのスザクだった。
スザクは死にたがっていた。ルルーシュが関われなかった七年もの間、重い過去に押しつぶされそうになりながら、罰のように生きていたのだ。死は、スザクにとって罰ではない。救いなのだ。だというのに、自分勝手に生を押し付けてしまった。
ごめん。ごめん、スザク。本当にすまない。もういい、もう、お前が苦しむ必要などない。
苦しめてしまった。唯一無二の親友を、ただひとり、この国でルルーシュとナナリーを守ってくれた男を。
ルルーシュが放った弾丸は、当然のようにスザクには届かなかった。ルルーシュのギアスがそうさせているのだから、予想はし得たことだ。しかし、ルルーシュのギアスにも限界は存在する。
知らないことは話せない。それと同じように、本人の能力を越えたことは出来ない。
そう、スザクはルルーシュの弾丸は避けられても、カレンの弾丸までは避けられなかった。それだけのことだ。結果、スザクには死が迫っている。死をあらかじめ避けることは出来ても、本人の意思では迫る死を払い除けることなど、出来はしない。
もっと早くに、殺していればよかった。あんな酷な命令を下す前に、この手で息の根を止めてやればよかった。いくらだって機会はあったのに、そうしなかったのは己のミスだと、ルルーシュはただ涙を落とす。
「もうゆっくりとおやすみ」
妹にそうするように、スザクの髪を優しく撫でて眠りを促してやった。すると、スザクはふわりと微笑んで、じゃあ、ちょっとだけ、と呟く。
何でこんなに眠いのかな、と苦笑を滲ませて言うスザクを抱く手にぎゅっと力をこめて、ルルーシュは沈黙する。
永遠の別れを前に、告げる言葉を慎重に選んだ。砂時計の砂のように刻一刻と減っていく残り時間を感じてはいたが、彼の最期に贈る言葉を間違えてはならない。
ルルーシュは躊躇いながら、しかしこれしかないという言葉を、噛み締めすぎて赤く色付いた唇から零れさせる。
目の前で緩やかに呼吸を止めていくのは、唯一の親友。
さようならもありがとうも、言ってなんてやらない。来世への約束も、もはや謝罪すらも口には出来ない。
そう、親友だった。親友である彼には、さようならとありがとうと、来世への約束を(“来世”なんてものを信じているわけではないけれど、)贈りたい。そして今一度、自らの行いについての謝罪を述べるだろう。
だが、そうはしない。流した涙は袖で拭って、自分に出来うる限りの冷たい視線で睥睨する。口にしたのは、ただ純然たる事実のみ。
「お別れだ、枢木スザク」
お前は、最も手強い、最悪の敵だった。
親友だった過去の自分たちよりも、敵である今の自分たちを選ぶルルーシュ。時間は戻らないということを、彼は誰より知っている。敵として死にゆく、かつての親友に告げることなど。
たとえ心が悲鳴を上げても、それは見て見ぬふりをして。